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VATICAN LISTNERS NEWS バチカン・リスナーズ・ニュース APR. 1995 No.73

VATICAN LISTNERS NEWS バチカン・リスナーズ・ニュース APR. 1995 No.73

VATICAN LISTENERS NEWS
バチカン・リスナーズ・ニュース APR. 1995 No.73


ローマに生きて
バチカン放送局日本語課、
 和田 誠(カルメル会)
 ヨーロッパ社会は鍵文化の社会だとよくいわれます。どこに行くにも、どこに入るにも、実にたくさんの鍵が必要です。バチカンでの仕事を終え、夕方、修道院に帰る時、私も自分の部屋にたどり着くまでに少なくとも4つの鍵が必要です。修道院の大門を入るための「鍵」、そして次に修道院の外玄関の「鍵」、内玄関の「鍵」、そして最後に自室の「鍵」。車やバイクで外出の時は、またそれ以上の「鍵」が必要とされます。もし今、余分な「鍵」を全部処分して一つだけ選べといわれたら、一体どんな「鍵」を選びとったらいいでしょう。私がどんなことをしてでも選びとるのは、きっと「私が私であるという権利」「私権」(わたくしけん)という「鍵」だと思います。「私が私であるということ」それは「私は他人ではない」「他人は私ではない」ということです。「私権」という「鍵」は、この最も基本的な事実をはっきりと認めるための「鍵」なのです。それは「個人の確立」と「共生」のための「鍵」であり、「自己決定権」と呼ぶこともできるでしょう。それぞれの「自己決定権」を許容しあう「鍵」、それぞれの生き方とそれぞれの思想を認め合う「鍵」、多様な生き方を受け入れあうための「鍵」なのです。
 すべての制度やすべての常識、すべての既成の価値観を今一度この「私権」という「鍵」で開け放してみると世界の風景は随分と変わって見えるようになるでしょう。逆説的に聞こえることと思いますが、過不足のない「私権」の確立こそ、行き過ぎた自意識とエゴイズムからの解放をもたらすものです。
 どこに行こうと、表面的にどこに属そうと、それぞれが「私権」を絶対にあけ渡さず、さらにそれを成熟させること、そうすれば国籍も人種も性別も年齢もそれぞれの状況の「違い」も、また、いわれない差別や偏見からもやがては解き放たれていくことでしょう。
 「私権」「私が私であるという権利」は、また、私たち一人ひとりが物ではなくペルソナであることを意味します。アクイナスの聖トマスはこのペルソナを、「絶対独立性」であると定義しています。すなわち、私はあくまで私であって他の誰かと混合されないということです。それはまさしく私が私であるというはっきりとした意識を持てて初めて他の人が私でないこと、私が多くのあなた(他の人)に囲まれて存在していることを理解するということでもあります。私とはまったく「違う」絶対独立性(ペルソナ)である「あなたがた」に囲まれている自分を意識するということです。もし私たち一人ひとりが本当に自分が自分であることを理解し、自分が自分であることを生きることができるなら、この世界から理不尽な差別や偏見、不寛容は姿を消すことでしょう。なぜなら、私が私であるなら、私でないあなた(他人)が私と同じでないことば当然すぎるほど当然だ、私とはまったく違う考え方、見方、感じ方をする人々がいて当然だ、と理解するからです。
 いろいろな肌の色、異なる髪の色、わけのわからない種々の言葉を話す多くの人々が共存、共生しているこのローマの町を歩きながら、私はしばしば「自分が自分であって、他人は自分ではない」ことをひしひしと感じさせてくれるこの町に生きることの幸せをかみしめています。

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ローマ探訪(12)
バジリカ・サン・パウロ・フィリ・レ・ムーラ(城壁外のパウロ大聖堂)


ローマには、数あるバジリカの中でも四大バジリカといわれる、由緒ある大聖堂があります。聖ペトロ大聖堂、雪の聖マリア大聖堂、ラテラノの聖ヨハネ大聖堂、城壁外の聖パウロ大聖堂です。今回は、この城壁外の聖パウロ大聖堂(バジリカ・サン・パウロ・フォリ・レ・ムーラ)をご紹介します。
 この大聖堂はローマ市南部の郊外にあります。フィーミチーノ国際空港からローマに入る時、その近くを流中るテベレ川の岸辺から、大聖堂正面の上部にあるモザイクの黄金色が、夕日を受けてまばゆいばかりに輝いて見えるのは壮観です。この聖パウロ大聖堂は、使徒聖パウロの墓の上に建てられています。
 聖パウロは、紀元67年頃に、今日のローマ市エウル地区にあるトレ・フォンターネ(三つの泉)のあたりで殉教しました。その遭休は、いったんローマ市郊外のカタコンベに埋葬され、のちに現在の位置に埋葬されました。この墓の上にコンスタンチヌス大帝が初めて聖堂を建て、324年に教皇シルヴェストロ一世(314~335)がこれを祝別しました。これが最初の聖パウロ大聖堂で、当時より今日に至るまで、絶えず多くの巡礼者が訪れるローマ巡礼地のひとつになっています。
 最初の聖パウロ大聖堂は、4世紀後半に、三代にわたる皇帝によって拡張・改築されました。その結果、当時の聖ペトロ大聖堂に似た大きいポルティコ(玄関)のある五廊式聖堂になり、390年に改めて献堂式が行われました。8世紀後半に再度改修され、当時のローマの聖堂の中では最も大きく、最も美しい聖堂となりました。
 一方、この大聖堂は多くの災難にあっています。847年、サラセン人による略奪。しかし、その後すぐに修復され、大聖堂、修道院、近隣の村を守るための城壁が周囲に設けられ、城壁内の町はこれを建設させた教皇ヨハネ八世(872~882)にちなんで、ヨハネの街(ジョバンニポリス)と呼ばれていました。この城壁は、その後500年にわたって教会を外敵から守りました。
 1348年、震災。ローマの地震により、鐘楼が倒壊するほどの被害を受けましたが、この時も直ちに修復再建されました。その後、芸術家によって内部装飾が進みました。
 1823年7月、火災発生。木造の天井から出火した火は二昼夜燃え続け、正面の一部、内部のアーチ、中庭を残しただけですべてを灰に帰しました。そこでまたも再建工事が直ちに始まり、創建当時のバジリカ様式を比較的忠実に再現しながら建設が進められ、火災発生から30年後の1854年に完成し、今日に至っています。
 大聖堂の正面には、146本の石柱に囲まれた広い前庭があります。これは20世紀初頭に付け加えられたものです。その中央には、頭巾をかぶり、剣を担いだ聖パウロの像があります。
 大聖堂の正面外壁は全面モザイクで覆われています。上部三角形の部分には、両脇にパウロとペトロを従えたキリスト、その下には天国で遊ぶ子羊たち、その下には4人の預言者(イザヤ、ダニエル、エゼキエル、エレミア)が鮮やかな色彩で描かれています。
 正面出入ロには、内部の五つの廊に対応して五つの扉があります。その中央のブロンズ製扉の右側には聖パウロの生涯、左側には聖ペトロの生涯のエピソードが彫られています。
 大聖堂の中に入ると、木製の格子天井の下に80本の円柱が立ち並び、内部を一つの身廊と四つの側廊に分けています。身廊の両側の上部壁画には、初代教皇聖ペトロから現教皇ヨハネ・パウロニ世に至るまでの264人の教皇の顔をモザイクで描いたメダリオンが飾られています。
 翼廊の真ん中には、1285年、アルノルフォ・ディ・カンビオ作のゴシック様式の天蓋が華麗に立っています。天蓋の下には4世紀に作られた大理石の祭壇があり、そこには「パウロ 使徒 殉教者」という文字が彫り込まれていて、その下にパウロの墓があることを示しています。
 後陣の天井のモザイク画は、教皇ホノリオ三世(1216~1227)が、1226年にべネチアの芸術家に描かせたものです。
 窓には、エジプト王から贈られたアラバスタがはめられて、聖堂内に入る光を和らげています。
 中庭を囲む回廊は、ラテラノの聖ヨハネ大聖堂の回廊を作った同じバサレット親子のものといわれており、ねじれた柱にはコスマテックデザインの模様がはめこまれています。この回廊は、ローマの教会の中でも最も美しいといわれています。

ご存じですか?
カトリック教会には、典礼上の暦があります。この典礼暦の1年は、主な救いの秘義を記念して祝う多くの「祭日」と、これらの祭日を中心に、それぞれの前後に設けられた一定期間を指す「季節」、つまり待降節→降誕祭→降誕節、四旬節→復活祭→復活節→聖霊降臨祭、そしてさらに、これらの祭日や季節を除く「年間」から成っています。この「年間」が、典礼暦の中では最も長い期間を占め、年によって異なりますが、述べ33~34週間あります。その間の日曜日は「年間主日」と呼ばれ、平日は「年間週日」と呼ばれます。その間に、キリストの救いに参与した聖母マリアをはじめ、多くの聖人たちの記念日があります。
 しかし、何といっても教会の典礼暦の中心は、「復活祭」です。これをラテン語では「Pasca」直訳すると「過ぎ越し祭」といいます。
 さて、今年の「復活祭」は4月16日です。この日を中心に、3月1日(水)から4月8日までの40日間は「四旬節」と呼ばれる準備期間、さらに4月9日(日)から15日(土)までの復活祭直前の1週間は「聖週間」といわれ、復活祭に連なる直接の準備ををします。そして「復活祭」。その後の7週間を「復活節」といいます。その間の5月28日(日)に「キリストの昇天」を祝い、6月4日(日)に「復活節」の最後を締めくくる「聖霊降臨祭」を祝います。これらの祭日や季節は、年によって異なる移動祝日です。
 復活祭は、「過ぎ越し祭」ともいわれますが、では一体何を過ぎ越すのでしょうか? 興味のある方は、旧約聖書から『出エジプト記』12章、新約聖書から『コリントヘの信徒への第一の手紙』5章を読んでみてください。

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1995年
4月~6月 番組予定表
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Rejoice greatly, O daughter of Zion; shout, O daughter of Jerusalem!
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