
中広の受信所を訪ねて 1992年(中華民国81年)11月号 自由中國之聲




中広の受信所を訪ねて
中広の受信所を訪ねて
自由中国之声は中国広播公司(通称中広)の海外部に属している、私達がいつも聞いている日本語番組は、台北の中広国内部のある建物内のスタジオで録音され、録音されたテープは、中広の番組送出セスターに持込まれ自動的に送出されている。番組は、番組中統(STL)回線にのせられ、先ずは台北郊外の竹子山へ送られてから幾つものSTLの中継所を経て各送信所へと途中下草しつつ台湾南部間での全長約300kmの旅に出る。各送信所へ到着すると、今度は、短波送信機にのせられ数万kmの旅に出される。私達ほこの電波を受信して番組を楽しんでいる。
日本語放送でお馴染みの周波数7130,11745と15345KHz。各周波数とも別々の送信所を経て放送されている。
先ずは、多くのリスナーが聞いている11745KHzの送信所を訪ねてみることにする。11745KHzの送信所は台南市にある天馬送信所より送信されている。台南駅より事で約20分ほどの所にある。天馬送信所は民国65(1976)年7月に正式運用始めた送信所である。民国56年8月に海外放送強化の目的で1000KW送信所計画案(代称天馬計画)が出、中国国民党内では同年12月に通過、民国59年3月に政府に継続処理を申出、民国59年9月に行政院の許可がおりた。民国六十一年から五年計画で、工期は二期に分け第一期工事は250KW二台とした。第一期工事は民国六十四年十二月未完成し、翌年民国六十五年一月より運用開始した。
送信機はBBC製(BBCと言っても英国の放送局ではない、スイスの送信機メーカー)250KW送信機が四台あり中広の短波海外放送の最大の出力を有する送信所である。(中広の中波では亜洲之声の1200KWが最大)完成当初はラジオ日本の出
力よりも大きく東洋一であった。確かに、その当初の受信状態ほ11745KHz付近にあまり大出力の放送がなく混信のないクリアーな受信が出来ていたことを思い出すリスナーも少なくないと思う。
天馬送信所のアンテナほ利得の高いカーテンアンテナが使用され、広大な敷地に半円形につながって作られたアンテナ群と半円形の前方に、日本向とオーストラリア向のアンテナとが設置されている。アンテナ切替は自動で行われ、ほんの数砂電波を止めるだけで方向を変えることができる。
天馬送信所からほ」自由中国之声と新聞網(9610KHz)の放送が出されている。
この送信所の付近にほ塩田が沢山あり、台南の名所「安平古堡」の展望台からも天馬送信所のアンテナを眺めることができる。
さて今度は、7130KHzの送信所を訪ねることにする。7130kHZは、中華民国が国連に加盟している時より使用されている由緒ある周波数で、自由中国之声といえば7130KHZと言っても過言ではないくらいの代表的な周波数である。民国三十八年当時ほ、今の国内放送の送信所である板橋送信所から出力20kWで放送されていた。現在この周波数が放送されている送信所ほ、嘉義県民雄郷の民雄送信所からである。
民雄は地名で、送信所の近くになると中央広播電台の大陸向アンテナが見えてくる。というのも中広の民雄送信所は中央広播電台と同じ場所にあるからである。民雄送信所の歴史は古く、日本統治時代の台湾放送協会その後、台湾広播電台、中広大陸広播部そして民国六十三年七月に中広大陸広播部が独立「中央広播電台」となりたため、民雄送信所を分割、中広は元の建物の横に民雄送信所を建てた。入口手前が中央広播電台の局舎、その奥が中広の局舎となる。中広民雄送信所には、7130KHzの50KW短波送信機と中波短波両用50KW送信機が一台づつある。この中波短波両用送信機は、現在中
波のみが使用され無指向性のアンテナで新聞網の1422KHzを放送している。また、この送信機は民国四十五年十月に増設されたもので三十五年の歴史を有している。
多くのリスナーに関心がある事と思うが、7130KHzに増力できないものが尋ねてみた。アンテナ設備等は100KWに増力しても問題ないが、100KWに増力後の効果と予算面が問題とのこと。50から100にと出力は倍になるが、実際の受信上の効果ほ倍にならず、1.4倍にしかならない。
従って、大幅な受信状態改善につながらない事と、今まで50KWでも日本で良好(ジャミング等無ければ)に受信できている事から、五年前更新するにあたり従来通りの50KWを導入したとのことであった。とはいうものの、50KWの放遂なので他の送信所の電波よりも変調を深くかけ、受信したとき聞きやす様にしていると所長の説明があった。リスナーの皆様も経験あると思うが11745KHzよりも良好に聞こえたりすることがしばしばあり、この辺が短波放送のおもしろいところだと思う。
民雄送信所のアンテナはロンピークアンテナが使用されている。中広のアンテナは中央広播台のアンテナ群の中にあるが、当然ながら中央広播電台の別のアソテナには接続できない。アンテナの切替ほ手動で行われ約10分かかるため従って放送休止時に行なわれている。なお、予備機がないため送信機が長期間故障等で停渡する時は、雲橋送信所に代行放送をして支うことになっている。ただし、代行放送の出力ほ25KWとのことである。
最後に、朝の再放送で使用されている9730KHzの送信所を紹介することにする。昨年九月二十九日から使用されている周波数で、雲橋送信所より放送されている。雲橋送信所は、民雄から車で約一時間の雲林県褒忠郷にある、。雲橋送信所は、民国五十九年末に起エ、民国六十年九月に従来の板橋送信所第二機室が移転し、民国六十一年三月に完成正式に運用を開始した。「雲橋」の名称忙ほ雲林と板橋の意が込まれ、もともとは地名ではなかった。しかし、雲橋送信所が出来た後、送信所の前に通路ができ「雲橋路」と名付けられ地名となった。
雲積送信所ほ、L字塑の敷地に各方向に建てられたロンビークアンテナ、ログビリオデックアンテナと100KW送信機五台及予備機からなる送信所で、ここからは、自由中国之声のほか亜洲之声と流行網(11885KHz)の放送もされている。日
本でこの流行網を果しんでいるリスナーも多いと思う。
日本語放送の9730KHZは100送信機とロンピークアンテナが使用され放送されている。今年の十月五日からの朝の日本語放送の再放送時間変更で、もしも、使用周波数が変更され、昼間良く聞える15345KHzが使用されたならばやはりこの
雲橋からの放送となる。
以上、日本語放送に関する送信所を簡単に紹介したが、日本語放送だけでも三つの送信所を経ているで、なぜこの様にと疑問に思うリスナーもいると思ぅ。それは、もしも、一か所からの放送だと、万一、台風等の自然災害を受け、アンテナ等が破損し放送不能になった場合、放送を中止を余儀然くされてしまうからである。各地に分散していれば放送規模ほ縮小されるものの、放送は継続することができる。また、送信所の建設にほ立地条件が大きく関係し、いかに効率良く目的地に電波を届かせることが重要で、十分考慮されのち場所の設定が行われる。この様な点から各地に分かれている事が理解出来る
と思う。
実際に各送信所を見学して私が感じることは、日頃、放送の番組面だけに目を取られがちの私達ですが、その番組を世界各地に届けるために日夜努力している技術の方、送信所の方々の苦労を忘れてはならないということを強く感じずにはいられなかった事である。
(写真) 天馬送信所―日本向アンテナ
(北見 隆)
(当然のことながら、記事中の周波数と出力は1992年当時の状況になります。)
2012年3月現在の台湾国際放送のスケジュールでは9735kHz,11605kHzとも台南からの250kW送信。




中広の受信所を訪ねて
中広の受信所を訪ねて
自由中国之声は中国広播公司(通称中広)の海外部に属している、私達がいつも聞いている日本語番組は、台北の中広国内部のある建物内のスタジオで録音され、録音されたテープは、中広の番組送出セスターに持込まれ自動的に送出されている。番組は、番組中統(STL)回線にのせられ、先ずは台北郊外の竹子山へ送られてから幾つものSTLの中継所を経て各送信所へと途中下草しつつ台湾南部間での全長約300kmの旅に出る。各送信所へ到着すると、今度は、短波送信機にのせられ数万kmの旅に出される。私達ほこの電波を受信して番組を楽しんでいる。
日本語放送でお馴染みの周波数7130,11745と15345KHz。各周波数とも別々の送信所を経て放送されている。
先ずは、多くのリスナーが聞いている11745KHzの送信所を訪ねてみることにする。11745KHzの送信所は台南市にある天馬送信所より送信されている。台南駅より事で約20分ほどの所にある。天馬送信所は民国65(1976)年7月に正式運用始めた送信所である。民国56年8月に海外放送強化の目的で1000KW送信所計画案(代称天馬計画)が出、中国国民党内では同年12月に通過、民国59年3月に政府に継続処理を申出、民国59年9月に行政院の許可がおりた。民国六十一年から五年計画で、工期は二期に分け第一期工事は250KW二台とした。第一期工事は民国六十四年十二月未完成し、翌年民国六十五年一月より運用開始した。
送信機はBBC製(BBCと言っても英国の放送局ではない、スイスの送信機メーカー)250KW送信機が四台あり中広の短波海外放送の最大の出力を有する送信所である。(中広の中波では亜洲之声の1200KWが最大)完成当初はラジオ日本の出
力よりも大きく東洋一であった。確かに、その当初の受信状態ほ11745KHz付近にあまり大出力の放送がなく混信のないクリアーな受信が出来ていたことを思い出すリスナーも少なくないと思う。
天馬送信所のアンテナほ利得の高いカーテンアンテナが使用され、広大な敷地に半円形につながって作られたアンテナ群と半円形の前方に、日本向とオーストラリア向のアンテナとが設置されている。アンテナ切替は自動で行われ、ほんの数砂電波を止めるだけで方向を変えることができる。
天馬送信所からほ」自由中国之声と新聞網(9610KHz)の放送が出されている。
この送信所の付近にほ塩田が沢山あり、台南の名所「安平古堡」の展望台からも天馬送信所のアンテナを眺めることができる。
さて今度は、7130KHzの送信所を訪ねることにする。7130kHZは、中華民国が国連に加盟している時より使用されている由緒ある周波数で、自由中国之声といえば7130KHZと言っても過言ではないくらいの代表的な周波数である。民国三十八年当時ほ、今の国内放送の送信所である板橋送信所から出力20kWで放送されていた。現在この周波数が放送されている送信所ほ、嘉義県民雄郷の民雄送信所からである。
民雄は地名で、送信所の近くになると中央広播電台の大陸向アンテナが見えてくる。というのも中広の民雄送信所は中央広播電台と同じ場所にあるからである。民雄送信所の歴史は古く、日本統治時代の台湾放送協会その後、台湾広播電台、中広大陸広播部そして民国六十三年七月に中広大陸広播部が独立「中央広播電台」となりたため、民雄送信所を分割、中広は元の建物の横に民雄送信所を建てた。入口手前が中央広播電台の局舎、その奥が中広の局舎となる。中広民雄送信所には、7130KHzの50KW短波送信機と中波短波両用50KW送信機が一台づつある。この中波短波両用送信機は、現在中
波のみが使用され無指向性のアンテナで新聞網の1422KHzを放送している。また、この送信機は民国四十五年十月に増設されたもので三十五年の歴史を有している。
多くのリスナーに関心がある事と思うが、7130KHzに増力できないものが尋ねてみた。アンテナ設備等は100KWに増力しても問題ないが、100KWに増力後の効果と予算面が問題とのこと。50から100にと出力は倍になるが、実際の受信上の効果ほ倍にならず、1.4倍にしかならない。
従って、大幅な受信状態改善につながらない事と、今まで50KWでも日本で良好(ジャミング等無ければ)に受信できている事から、五年前更新するにあたり従来通りの50KWを導入したとのことであった。とはいうものの、50KWの放遂なので他の送信所の電波よりも変調を深くかけ、受信したとき聞きやす様にしていると所長の説明があった。リスナーの皆様も経験あると思うが11745KHzよりも良好に聞こえたりすることがしばしばあり、この辺が短波放送のおもしろいところだと思う。
民雄送信所のアンテナはロンピークアンテナが使用されている。中広のアンテナは中央広播台のアンテナ群の中にあるが、当然ながら中央広播電台の別のアソテナには接続できない。アンテナの切替ほ手動で行われ約10分かかるため従って放送休止時に行なわれている。なお、予備機がないため送信機が長期間故障等で停渡する時は、雲橋送信所に代行放送をして支うことになっている。ただし、代行放送の出力ほ25KWとのことである。
最後に、朝の再放送で使用されている9730KHzの送信所を紹介することにする。昨年九月二十九日から使用されている周波数で、雲橋送信所より放送されている。雲橋送信所は、民雄から車で約一時間の雲林県褒忠郷にある、。雲橋送信所は、民国五十九年末に起エ、民国六十年九月に従来の板橋送信所第二機室が移転し、民国六十一年三月に完成正式に運用を開始した。「雲橋」の名称忙ほ雲林と板橋の意が込まれ、もともとは地名ではなかった。しかし、雲橋送信所が出来た後、送信所の前に通路ができ「雲橋路」と名付けられ地名となった。
雲積送信所ほ、L字塑の敷地に各方向に建てられたロンビークアンテナ、ログビリオデックアンテナと100KW送信機五台及予備機からなる送信所で、ここからは、自由中国之声のほか亜洲之声と流行網(11885KHz)の放送もされている。日
本でこの流行網を果しんでいるリスナーも多いと思う。
日本語放送の9730KHZは100送信機とロンピークアンテナが使用され放送されている。今年の十月五日からの朝の日本語放送の再放送時間変更で、もしも、使用周波数が変更され、昼間良く聞える15345KHzが使用されたならばやはりこの
雲橋からの放送となる。
以上、日本語放送に関する送信所を簡単に紹介したが、日本語放送だけでも三つの送信所を経ているで、なぜこの様にと疑問に思うリスナーもいると思ぅ。それは、もしも、一か所からの放送だと、万一、台風等の自然災害を受け、アンテナ等が破損し放送不能になった場合、放送を中止を余儀然くされてしまうからである。各地に分散していれば放送規模ほ縮小されるものの、放送は継続することができる。また、送信所の建設にほ立地条件が大きく関係し、いかに効率良く目的地に電波を届かせることが重要で、十分考慮されのち場所の設定が行われる。この様な点から各地に分かれている事が理解出来る
と思う。
実際に各送信所を見学して私が感じることは、日頃、放送の番組面だけに目を取られがちの私達ですが、その番組を世界各地に届けるために日夜努力している技術の方、送信所の方々の苦労を忘れてはならないということを強く感じずにはいられなかった事である。
(写真) 天馬送信所―日本向アンテナ
(北見 隆)
(当然のことながら、記事中の周波数と出力は1992年当時の状況になります。)
2012年3月現在の台湾国際放送のスケジュールでは9735kHz,11605kHzとも台南からの250kW送信。
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